funifuni workshop
info@abenokaiga.com
お問い合わせはこちらのメールアドレスまでお願いします。

遥かなる国モンゴル

竹島 昌威知
目次
第1章 遥かなる国モンゴル
第2章 ウランバートルからゴビヘ
第3章 ゴビにて
第4章 途方もない虹
第5章 ガンダン廟



第1章 遥かなる国モンゴル


蒼い狼やチンギス・ハーンで知られる草原の国モンゴル。
いまなお800~1000年昔の生活を続ける遊牧民たち、あの雄大なゴビ砂漠、包(ゲル)という住居に住み、馬・羊・駱駝を放牧して移動する。
私は以前、ある取材を目的とした作家司馬遼太郎氏と共に、この国を訪れる機会を得た。

モンゴルとは昔、外蒙古といわれ、世界制覇を夢みたチンギス・ハーンの国といえば誰知らぬ者はない、内蒙古(中国の自治区)とは気候風土も違う。
正確にはモンゴル人民共和国、日本全土の約四・五倍の面積に、およそ150万人が住む広大な国である。
出発を前に友人が「ヨーロツパヘ行くならまだしも、ようあれだけ何も無い国へ行くなぁ」と感心していたが、私は何も無いというより、ゴビを見たい気持ちがいっぱいで、友人の声に耳を貸さなかった。

旅立ち間際になつて司馬さんが、蒙古は何も無い所だから、磁石を持つて行けば喜ぶだろうと提案したが、1000年の昔から自然にとけ込んだ生活をしている民族には、そんなものは必要ないと私は否定した。
代わりに土産は風呂敷や使い捨てライターなどを持参することにした。

新潟空港から日航機で、ソビエトのハバロフスクまで僅か二時間で到着。
ハバロフスクからイルクーツクヘ飛び、ここからはモンゴル国内機で首都ウランバートルヘ向かった。
ところがこの飛行機、30人乗りのプロペラ機で、窓から隙間風が入り込むという代物、
低空飛行で助かったが、ジェット機なみの高度なら入院騒ぎであったろう。

機は地上に影を落としながらのんびり飛んでいる。
下界に何も見えなかったが、国境を越えたと思われた頃、視界が開けて丘陵のような山肌が望まれた。
樹木がなく奈良の若草山が延々と続く光景である。
機影に驚いた動物が右往左往している。
「あっ羊だ」低空を飛んでいるので羊と確認できた。
やがてコンクリートを荒打ちしたような滑走路のウランバートル空港に到着した。

空港から都心部へ小一時間、道すがら草を食む羊や馬、遠望する包の群落を眺めながら、
水量の少ないトーラ川を渡り市内へと入った。
さすがに首都だけあつて鉄筋住宅が点在し、車が少ないせいかどの車もスムーズに走っている。
信号灯もあまり見かけない。
聞けば市内で四ヵ所しかないとのこと、そのためか人は赤信号でも平気で横断していた。

ウランバートルホテルに着き旅装を解く。
内部はソビエトのホテルに似ていて、思ったより豪華である。
このまま日本に持ってきても遜色はない、高い天井のホール、食堂も頑丈な造りで、ここが遊牧民の国?と首を傾げたくなるほどであつた。
機内食が出なかったので、午後四時過ぎに半端な食事をとる。
羊中心の料理が口に合うかと訝っていたが、牛の舌があり、中華風味付けのうどんあり、紅茶やスーティチャイ(ミルク入りモンゴル茶)もあって、結構私の口に合った。
食後、市の展望台へ行くというのでバスに乗り込んだ。

市内の風景に目が慣れてきたのか、街を往く人の服装や顔も余裕をもつて眺められる。
男性は中国服に皮の長靴を履いていて、女性はやはり中国風だが、裾がスリットされたものではなく、古いスタイルの略装が多い。
しかし、若い人は日本人と変わらない服装をしている。
いずれも極寒の国だけに長・半靴であり、西遊記に登場する先の尖った靴(ゴタル)が目立った。

展望台は小高い丘にあり、建国50周年を記念した戦没者慰霊碑が建ち、ノモンハン事件、第二次大戦までの霊が祀られてある。
横の壁画を見てハッとした。
戦車をバックにした兵士が日本の旭日旗を踏んでいる。
ノモンハンで完敗した日本軍だから仕方がないとしても、なにかやりきれない気持だつた。

だが、ここからの眺めは市内を一望に収め、近くの山肌にある包を除いては、ほとんどが近代建築の街で、人口が少ないため街に騒音もなく、澄みきった大気がどこまでも視界を広げる。
大気が汚染されず紫外線が強いので人々は浅黒く、精悍な顔が日本人と似ていて親しみがもてる。
道で声をかけられたが、言葉の通じないのがもどかしかった。

ホテルに戻ると雨が降り出した。
この国では雨が珍しいので、通訳のツベックマーさんに聞くと「雨は降っても直ぐに止みます」という。
雨は止んだが空け曇っていてウランバートルの星空は望めない。

私は次に行くゴビ砂漠での夜空を期待することにした。
ホールではバンドの演奏が始まり、若者がリズムに合わせて踊り出した。
蒙古にきたのに実感が涌いてこない、これはホテルにいるためかも知れない。
それでも空が晴れていれば、見事なウランバートルの星空を眺められたはずである。
私は晴れそうにない夜空を、恨めしく思い、いつまでも仰いでいた。


第2章 ウランバートルからゴビヘ


ゴビのことを日本人はゴピ砂漠というが、モンゴルではそうは言わない、ゴビ地帯である。
ゴビは総て砂磔性の乾いた固い土質から成り、ゴビ地帯は三県に及ぶ。県(アイマグ)といっても、
その1県は日本の県とは比較にならぬ程広大である。

どうしても砂漠という観念を拭いきれないまま、ウランパートルから双発プロペラ機で飛び立った。
粗末な滑走路をバスにゆられるように、ガタゴト走ったかと思うと、 ふんわり浮き上がる感じはジェット機の急上昇より、むしろ乗り心地がよい。地上に広がる草原、小さく点在する包、 飛行機の爆音に驚いて走り出す馬や羊の群れ、それらを眺めていると、ガリバーの冒険を地で符くように実に楽しい。
急に後ろから肩を突かれた。

ふり返ると17、8歳にしか見えない若いスチユワーデスが、座席ベルトを締めるようにと促す。
ものの一時問ほど飛んだだけなのに、もう到着したのかと通訳に閻くと、「ここは県の一つですがドンドゴピで、その中のマンドルゴビという町です。ほかの客を降ろして私たちはオムノゴビヘ行きます。」

町というので辺りを児回したが、倉庫のような簡易住宅が二、三と包があるだけで、さすがゴビだけに信号も車もない。
当然なのにそう思えない町というイメージが、いつまでも脳裏から離れなかつた。

やがて尻に伝わる鈍いショックがあり、滑走路もない地面に機は砂塵を巻き上げながら停まった。
開いたドアからタラップが下ろされ、客が降りていくと、「サインバイノ(今日は)」
出迎えの人たちと交わす挨拶が耳に伝わった。
挨拶は単調だがアクセントで違いが感じられ、ハワイでの「アロハ」のように多様に使われることが分かった。

客が降りきると搭乗者もないので、ほんの数分で機は滑り出した。
再び大地を離れたとき、通訳が話しかけてきた。

「ゴビはドルノ(東)ゴビ、ドンド(中)ゴビ、オムノ(南)ゴビと三つあり、 これから行くオムノゴピがいちぱん大きく、ジュルーチン(国営ツーリスト)の出張所がある所へ行きます」

オムノゴピは、南部を中国との国境に接し美しい山並みをもつ地域。
ダランザダガドという町があり、約5000人が住む。
学校や博物館もあって、オムノの人口(25000人)から推して大きな町といえる。
だが目的地はそこから四〇粁ほど離れた地点なので、ダランザダガドヘ行けるか否か分からなかった。
すでにドンドゴビで荒涼とした風景を児ているので、あまり期待はしていなかった。

水平飛行から機首が下がっていくので目的地は近い、 窓外にロを移すと、遥か波方にゆるやかな稜線をもつ山肌が望れ、包の群落と琲務所のような建物が目に入った。
「あれがジュルーチンです」と通訳の声。

機はやはり滑走路のない地面に、バスのゆれを感じさせ、再び尻にショックを与え、体をゆすって止まった。
やっとゴビに来たのだ。
この目で見るゴビ、肌にふれるゴビの大気、足で踏みしめるゴビの大地、私たちはタラップを降りて全身でゴビを確かめた。
手で大地を叩き、ドサッと座り込んだ。

澄みきった大気を胸いっぱい吸い込み、西に沈む太陽を眺めながら時計に目をやると、 午後七時を過ぎたところ、日本ならネオンが輝く時間である。
沈みきらない夏の太陽に気をとられていると、誰かが素つ頓狂な声を上げた。
「おい、この影見てみィ、凄い影や」見れば自分の影が、50米もあろうかと思うほど長く鮮明に延びている。
前方にジユルーチンと包がある以外、地平線まで四周見渡す限り全くなんにもない。

ここにゴルバンサイハンといって、三つの美しい山に囲まれた所という意味をもつらしいが、三つの山は見当たらず南西の波方に雄大な裾野をひく山が望まれるほかは、大平原が続くだけである。
大平原といっても近くで児ればポサ状の短い草がどこまでも続き、まるで緑の絨艶を散きつめたようで、アメリカ映画で見る太平原よりも美しい。
ゴビは砂漠ではなく、ゴピ地帯であると知った。
平坦地で海抜1200米、冬は零下30度にもなるというゴピ地帯。
暫く彼ら遊牧民の冬の生活を呆然と想像していた。

やっと待望の包に入る。
直経約4米の内部は、ストーブを中心に据え円形の壁に沿つて四つのベッドを備え、
正面に簡易タンスもあり、 天井の天幕を開けると、明かり採リとストーブの煙突ロともなる。
壁は分厚いフェルトを矢来状に粗んだ柵に縛ってある。
高さは人が立つて余裕があるので2米弱か、天井から壁まで細い棒を50本近く使って包を支えていて、見上げるとカラ傘を広げたようだ。
この包を8時問かけて解体、8時問かけて組み立てる、合理的な移動住宅である。
外に出て包の入り口は総て南向きだと気付き、磁石が必要ないことを確認した。


第3章 ゴビにて


夕食を済ませた頃、外は夜の帷が下りて漆黒の闇。
それとは逆に銀砂を撤いたような満天に輝く星空。
大気汚染のない澄みきった空に眺める星は、三等星も光度が強く、あまりにも鮮明で低く感じられ、手にとれそうに見える。
同行の画家・須田剋太氏も、この星空に感銘を受けたのか「私は星空をあまり描かないが、この星空は描いておきたい」画伯にこう言わせたほどの星空である。

私も星が好きで少しくらい星座は知っているが、星座の中にある星がこれだけ多いと、簡単に星座を言い当てることはできなかった。
鈍く地平から発して中天を圧す銀河、空を斬るように一条の線となつて移動する人工衛星、プラネタリウムの投影を見るように、私は呆然と既界一の夜空を仰いでいた。

「包」での睡眠は快適で、昨夜、凄い星空を仰いだ後、ウオッカのようなモンゴル酒(アルヒ)を飲んだせいか、激しく噛り起こされるまで寝入っていた。
「おーい日の出だ!」声に跳ね起き、慌てて外へ飛び出した。

今まさに地平から姿を現そうとする太陽、それにつれて徐々に変化する雲の色、それにしても寒い、昼間20度を越す気温も、早朝は5度にも満たない。
肌をこすりながら地平を眺める問に、雲は黒味を帯びた黄金色に変わり、太陽が静かに姿を見せた。
素晴らしい大陸の日の出だが、その瞬間は短く、日没の方が時間が長く、遥かに雄大である。

朝食後、私たちはバスで砂丘に出かけた。
ボサ状の野草は限りなく続き、時々悠然と草を喰むラクダを見ると、夢と現実の境界が無くなり、幻想の世界を行く思いがする。
途中、遥かなる地平線の蜃気楼を眺め、野草の種類を教えられながら砂丘に着く。

砂丘は飽くまでも乾性、風で吹き寄せられたのか、小高い丘をなして風紋を造つてどこまでも続く、やはりここは砂漠だと思うのだが、ゴピ地帯の方がうんと面積が広く、ゴビ地帯が正しいと教えられた。次にラクダを飼う「包」に行こうと、バスはその「包」を探して走る。
モンゴルではラクダ・馬・羊を、専門に飼育している。
昨年はこの辺にいたんだがと、首を傾げて飛ばす運転手がやっとラクダの家族を見つけて車を停めた.
「サインバイ/(今日は)」

ラクダはうさんくさそうにそっぼを向いていたが、「包」の家族は車の音に気づいていち早く出迎え握手する。
粗末な民族服を蒋た子供、色の浅黒い精悍な若者、小皺の目立つ婦人たちが、直ちに「包」の中に招き入れ、私たち遠来の客に馬乳酒(アイラグ)で歓迎してくれた。
簡素なテーブルにウルム、アロフという乳酸菓子が盛り上げられてある。

馬乳洒は馬乳を自然発酵させて造る酒で、アルコール度は低く女性や子供も飲む、その上結核に良いと聞き、ドンプリ鉢の馬乳酒を一気に飲み干した。
それを兄た小皺婦人が、表情も変えずになみなみと注ぐ、これには参った。
ロの中で馬乳酒が音を立てて躍つている。
飼育のラクダの中から家族が乗用としているラクダに乗せてもらうことになった。

乗ればさすがに砂漠の舟といわれるだけあつて、馬より乗り心地が良い。
だが乗り降りが大変、立ち上がる時はさほどでもないが、ラクダは急に前脚を折り曲げるので前に急傾斜する。
何人も乗るのでラクダは嫌がり、「メヘヘーン」と顔を反らせて拒絶し、臭気の強い唾液を飛ばす。
一旦嫌がればテコでも動かない動物なので私らも断念した。

平原の彼方に点のようなラクダが歩いている。
「あれはうちのラクダです」私らには見えないが、「包」の人には見えるらしい、彼らの目は遠目が利き3.0~5.0度の人もいる。

まるで双眼鏡だ。「包」の付近に沢山ラクダが屯ろしているが、周りに草が少ないのを見ると、やがて「包」の移動も近いのだろう。

ラクダの「包」に別れを告げ、次に馬の「包」を訪問した。
例によって挨拶を交わすと又も馬乳酒だ。
だぶつくお腹を案じながら今度はゆっくり飲む。
ラクダの「包」と違い馬の「包」はすさまじい、外で馬が駈ける音、それを制する声に混じり「オールガ」という声が聞こえる。

オールガとは、長い棹の先に皮製の輪をつけたもので、それを右腕で抱えて馬上から野生の馬を捕る。
棒の長さは三米はあろうか、片手で捕るだけに相当な力が必要である。
疾駆する馬を追つかけたと見る間に素早く後ろにつけ、棒を差しのぺ首に輪をひつかける。
この手際の良さを、西部劇を見る思いで眺めていた。

数回同じ光景が操り返され、若者の額に汗が滲み出したと見る頃、妙なる音色が聞こえてきた。
音は包の中からで、細く低く衰調帯びた中国の胡弓に似た楽器・馬頭琴(モリンホール)の音だつた。

棹の先が馬の頭を形どり、弦を弓で弾けば胡弓に似た音色が「包」の内外を静かに長く、たなびく霞か雲か、コビの隅々までを潤すようにどこまでも流れていく。


第4章 途方もない虹


モンゴルの国技は、弓・相撲・馬と三種あつて、弓は日本のものより小ぶりだが強弓で、 常に腕を競い合っている。
ともに盛んなのが相撲で、褌スタイルではなく、草原で組み合うため、 靴(ゴタル)を履き短パンツにベストいう格好で闘う。
それにも増して盛んなのが馬である。
この国の馬は背が低いが頑健で、忍耐力は世界屈指といわれるだけあって脚力も強く、 砂塵を蹴立てて瞬く間に現れ、風の如く去っていく。
地平の波方にケシ粒のようなものが動いている。

それが何かと確認するまで可成りの時が過ぎ、砂煙リが立つのを見てやっと馬であることが分かった。
馬上の人を見分けるまでには再び時間を要した。
私たちの前に下り立った若者に通訳が尋ねると、三十キロ以上の距離を走ってきたという。
そういえばケシ粒を見てから半時間は過ぎていた。
馬の「包」に別れを告げ、私たちはバスに戻って宿泊地へ向かう途中、 見なれたゴビ地帯の遥かな地平から中天にかかる素晴らしい虹を見た。
あまりの美しさに車を停めてもらい、暫く呆然と眺める。

汚染されていない澄みきった大気の中に、ひと尋(ひろ)もあろうかと思われる太い虹が色彩も鮮やかに空へ橋をかけ、それが見る間に、もう一つ平行し、色の順を逆にして現れた。
日本では山間から立ち上がる細い虹も、最近ではあまり見かけない。
それに比べてこの見事な虹は、自然を愛す
る純朴な民にこそ神は卓越した絵を見せる。
砂塵を蹴って疾風の如く走る馬、悠々と歩む砂漠の船ラクダ、幻影の蜃気楼と紺碧の空、 満天を覆う数えきれない星、そしてこの鮮やな虹……。
私はその夜、もう一度美しい星空を仰げる楽しみに胸を躍らせ食卓についた。

食後、映画を見せるというので、楽しみが一つ増えたことも期待された。
これから見せるという映画は、私たちが行けなかったゴルバンサイハンノローの山岳地帯の写真、 そこに棲むヤンギル(野生の山羊)、ハブタガイ(野生のラクダ)、ホラン(野生のロバ)、アルガリ(野生の羊)など、 その池の獣や鳥類を含め、ゴビ地帯には見られない山間部の美しさを集録してあるという。
旅行者としても、総て行きたい所へ行けるものではない。
山岳地帯も見たかったが、雨模様のため断念させられただけに、その部分を映画で観られるのは有り難かった。

私は喜々として映画の始まりを待った。
レストランにはすでにスクリーンが張られ、映写機も持ち込まれてある。
始まるのが遅いのでモンゴルピーボ(ビール)を、今や遅しと飲みながら待った。 ところが一向に始まりそうにない。
ダランザダガドからくる映写技師を待っているのだ,それにしても遅い、 そこで係員が迎えに行くと言って単車で走り出した。
小一時間も待たされ、星空を見ようと外に出たが、昨日とはうって変わって空は雲に覆われ、 楽しみにしていた美しい星を見ることができなかった。
ようやく係員が戻ってきたが、技師が病気でこられないとのこと。
美しい空は眺められないし、その上映画も駄目かと気落ちしていると、三~四人が「私たちでやります」と三脚に映写機を据えた。
さて映写する寸前となつてコンデンサーから煙が立ち上がり、映写できなくなってしまった。

映画が駄目になったお詫びの積りか、青年がモンゴルの民謡を唄ってくれた。
ほかに何の物音とてない雄大なゴビの一角で、声は高く低く周囲のしじまを破って流れた。
先の馬の「包」での馬頭琴、いま流れている歌、いずれも哀調を帯びたもの悲しいメロディである。
夜空も映画も見られない嘆きを耳に変え、夜半まで歌に聞き惚れていた。

夜中「包」を叩く雨の音で目が醒めた。
これでは日の出も拝めない。三日目のゴビも昨夜からご難続きである。
雨のため「包」の中は温度が下がり冷えてきた。
そこで私たらの泊まっている「包」にストーブが焚かれることになった。
ストーブにはザックという木の根を燃料に用いる。
持てば軽いのだが、石炭よりらカロりーが高いと聞かされ驚いた。

朝食後、荷物を纒め「包」の中で待機していると、通訳が「あの方角に雲が出ると飛行機はきません」という。
「こないならバスで620キロを走破してはどうか」なんて声も一行の中から出て不安がつのった。
少し晴れてきた雲間から飛行機が降下してきた、と見ると上昇する、何故か?と見れば数頭の馬が着陸地点にいる ので、機長が馬をよけろと合図して二度旋回して着地した。

僅か2泊の「包」だが、ゴビの匂いが染みついた体が別れを惜しんでいる。
バヤルララー(有り難う)、パヤルタイ(さようなら)、互いに握手を交わしたものの、 どこか田舎の親戚で数日間お世話になって、帰り際の気持ちに似た親近感を抱かせる感覚が彷彿とする。
こんな気持ちはどこからくるのだろうか、私はじっと考え込んでしまった。


第5章 ガンダン廟


「ただ一度の恋」という映画が戦前にあったが、ゴビで眺めた美しい夜空は、 私にとってひと目惚れした恋人のようなものだった。
それがただ一度であっても、あの鮮明な夜空は、生涯私の脳裏から離れることのない強烈な思い出である。
初めてで最後になりそうなゴビの印象、思い起こせば出会った人たちの顔が克明に蘇つてくる。

ゴルバンサイハンの「包」を眼下にしながら、果たしてもう一度訪れる機会があるのだろうかと、 オムノゴビを離れる機上で考えていた。
暫くすると私の泊まった「包」が、徐々に小さくなり点となって消えてしまった。
バヤルタイ(さようなら)、 バヤルララー(有難う)ゴビよ、この美しい自然をいつまでも残しておくれ。
ゴビでの無から有を演出する雄大な自然美に、心から酔ってしまった私は、 もう何を見ても驚かない気持が、身体の隅々まで蔓延していた。

ところが、またも驚くことになった。

ウランバートルホテルで一夜を明かした私たちは、この国にーつしかない国営百貨店と、博物館、 ラマ教寺院のガンダン廟(スム)へ案内された。 途中、モンゴル政庁広場に、革命児スフバートルの馬上像があり、科学アカデミー前には、ソビエトにはないスターリンの像が珍しい。
世界で唯一、旧満州語科をもつウランバートル大学を横に見て、ウニバルマート(百貨店)へ行く。

百貨店は意外に立派で、七階建ての偉容を誇るが、店内は消費物資が少なく、皮製品、雑貨類、民芸品などには特殊なものがある。
一階は食料品。文具、雑貨は二、三階にあるが、いずれも品種は少ない。
客を呼ぶ声もなく、店員は客の要求があるまでつっ立っている。
ドルショップは四階で外人専用、珍しい日本人を見ようと子供たちが取り囲む。
毛皮が安い、買おうとする司馬さんを、風土によって鞣し方が違う、
日本に持つて帰ればカビやすいのでは?と私が止めた。

博物館のほかに美術博物館があり、民族の文化の変遷を伝えている。
2000年前の遺跡、15世紀頃からのラマ教の記録、サモ(祭り)の時に使う珊瑚作りの面、 フビライカンが信仰を篤くしたラマ寺院の膜祭など、どれを見ても飽きることがなかった。

変わったところで、短剣の鞘に箸箱をくっつけた取り合わせが面白く、またモンゴルの一日という絵が傑作。
生活総てを描いてあり、人の誕生から食事排泄、労働からセックスまで克明に描かれているのが珍しかった。

いよいよ待望のガンダン廟を訪ねた。
ガンダン廟は、モンゴルに残る唯一のラマ教寺院で、院内に入ると、正面に向かって細長い経机が並び、 平板に誓かれた経文を、大勢の僧侶が馬乳酒を飲みながら唱えている。
海坊主のょうな憎もいて、ギョロリと私たちを睨みつけ、近郊近在から来た参詣人の目が、珍しい日本人を眺め続ける。
異様な雰囲気の中を内陣へ案内された。 線香と馬乳酒の匂いが入り混じった、鐙えた臭いが鼻をくすぐる。

内陣の奥、網戸の中に大小さまざまな仏像が安置されてある。
真言密教の像を兄る如く、幾本もの手をもつ仏像や、五つのドクロを頭に頂く悪神の像、 これには三つの目があり、過去・現在・未来を見通すという。
しかも全裸の女神を正面から抱く、このグロチックさには舌を巻いた。 この仏像がひときわ大きく、正面にあるからには本尊と見たが?ところがこの仏像、 小さいのは子供の掌くらいから、等身大くらいまで、凄い数で周囲に鎮座している。
混然とする院内の一種独特の臭気に、私はいたたまれず外に出た。

外気を大きく吸ってホッとすると、20台はあろうかと思う礼拝台に、老人が全身倒打して拝んでいる。
遠く印度・チベットから伝わつたラマ教は、モンゴルにも浸透し、革命児スフパートルの出現まで続く。

人民共和国独立後は全ラマ寺院が撤去され、このガンダン廟だけが残されることになつた。
ほかの寺院はそのまま博物館にされたり、壊されたりで、姿を残すのは数少ない。
その数少ない寺チョイジンラマという寺も訪れたが、罪人を処刑した名残りがあり、 膜型ではあるが、天井からぶら下がる手足や人体を見ると気味が悪く、身ぶるいをした。

ガンダン廟には西遊記に登場する三蔵法師の遺跡や、原始医学の手術道具もあり、寺院で傷病者の治療を行ったとある。
さすれば旧ラマ寺院では善人を授け、罪人を処刑した所でもあったのだ。

それにしても寺院の建物はすばらしい、屋根の稜線は中国風で、狛犬に当たる唐師子も彩色があり、 日本の狛犬よりも親しみが感じられた寺院には国が違っても鳩が似合うのか、数十羽の鳩が餌もないのに飛来していた。  
遥かなる国モンゴル、広いゴビを抱え、800年の昔を今に伝える国。 雄大なゴルバンサイハンよ、永遠なれ・


〈おわり〉